May 1, 2013

enfermera de salud publica

Now Im working as a public health nurse in prevention measure section of Public Health Center. Especially Im in charge of the part of tuberculosis, other infectious disease and inquiry on pollution desease.
Now most of patient is japanese or foreign people who speaks japanese, so i just use japanese language. but soon after I have to use English and Spanish. I have to practice them!! Also
Recently the big problem is bird flu H7N9 in China. Now nobody come to Japan the people which infected by the infection. But Japan has already started Golden week, and many people travel from/to China. So everyone is scared about landing H7N9 soon. All we have to do is washing hands, gargle every time.

Ahora estoy trabajando como enfermera de salud publica en centro de sanidad publica. Especialmente estoy cargado de infección y censo de enfermedad de causada por la contaminación ambiental.
Ultimamente la problema grande es la infección de virus H7N9. Ahora no hay patiente en Japón. pero dentro de Golden week mucha gente viajan las países. Nosotros tenemos miedo que se llega el virus H7N9 pronto. Pero todos modos tenemos que laver las manos y hacer gárgaras siempre! Ojalá que no se extiende la infección más..

April 16, 2013

帰国後3年

協力隊から帰国して、もう3年。早い!!
それにしても、いろんなことがあったな。。

帰国後、シェアハウスに住みながら、日本社会復帰のリハビリのために大学院でのアルバイト。調査やデータ分析など、毎日が数字とのにらめっこ。

その後は、地域保健の道を目指し、保健師取得のために大学へ編入!
でも、なんだか暗闇の2年間。地上の光に憧れるもぐらの様な。。
毎日が葛藤で何やってんだろうなぁと考える日々だったけど、その中でもたくさんの人に出会い、実習を楽しみ、研究に苦しみ、英語サークルでの活動や国際交流活動など充実した?学生生活も送ることができた。
ただ、学生という身分が辛い時も多々あり、あまり言わないようにしたりもしていたんだけど。。

でも、学生だったからこそ、時間を有効に使えたこともあった。
東北大震災で、入学が1ヶ月遅れ、そのおかげで南三陸でのNGO活動に長期参加、その後も数回派遣させていただいた。そして、そこで出会った仲間たちがNGOを立ち上げ、アフリカやハイチ、バングラデシュでの活動が始まり、国内イベントにも一緒に参加することができた。

他にも、パラグアイフェスティバルや協力隊仲間で旅行に行ったり、シェアハウスでパーティーしたり、家の前の畑を借りて野菜を作ったり、FB通じて昔の旧友に出会えたり。。
改めて思うと、協力隊帰国後は交流の幅が広がり、多くの人たちと双方向に刺激を与え、与えられた日々だったと思う。ありがたい。


そして、今は保健師として保健所での仕事。
今後も続けていきたいNGO活動なども考えると、正職員の道にさほど魅力を感じず、就活にも身が入らなかったんだけど、入ってみるとかなり面白い仕事だった。毎日がワクワクで仕事が楽しくて仕方がない♪
感染症担当ということで、結核を中心に疫学調査やDOTS、保健指導をしたり、他にもノロや肝炎、風疹対策をしたり。今後は公害や難病も担当予定。
正職員でもないんだけど、地区担当になり結構任される仕事も多いから、やりがいがある!!そして、なんと言っても職場環境がいい!!人がものすごく親切で明るい人が多い!なんて幸せなことだろう♪
今後は更に主体的に動いていかなければならないだろうから、頑張らねば!!

そして、英語とスペイン語も続けていこう。
今後のため、自分のため。

August 26, 2010

大学院説明会

本日、大学院説明会
ん〜。。。
なんだかな〜。。
レベルが高すぎるし、期待度が高い。。
なんか一気に壁が高くなったように感じた。
というのが正直なところなのか。。

友人の問題とは別にね。
最初は、その件があったから落ち込んではいた。
だから、余計ぐちゃぐちゃになってた。

なにかどこかで引っかかる。。
違和感を感じざるを得なかった。。

大学院では、一生懸命がつがつ勉強、その後もがつがつ第一線で仕事をしていく。。?

そこまで、自分を追い込んでまでできるのか。
そして、それをライフワークとしてやっていけるのか。。
国内外問わない仕事、リーダー的人材の育成、常にストレスと向かい合わせ。
常に緊迫した生活を送るようになるような、そんな印象を覚えた。

そんな感じで、不安増強。。。

どうなんだろうなぁ。
だからといって、看護師を続けていくのも何か違う。

自分の興味はどこへ。。

August 21, 2010

国際保健セミナー

先週、タイミングよく、国際保健セミナーを受講することができた。


演者は崎坂先生

元JICAボランティア、
大学院で経済学修士、
ニカラグアでジュニア専門員、
東大大学院で保健学修士、
HarvardでMPH、PhD、
もちろん、フィリピンやアフリカでのフィールド経験も多数あり、
更には子供もいるとか。。。。

見た目は穏やかそうな方、でも話を聞いてると次から次に驚きの連続。
すごすぎて頻脈になるくらい。


国際協力の分野では、修士は必須。
さらに博士があると、現地で対等に物言いができる。
国際保健分野では日本の修士、博士は弱い。
可能であれば、留学して取得するのがbetter

そうはいっても、留学ではお金がかかりすぎる。。
興味はあるけど、英語力もないし、経済面でも余裕がないから、やっぱり行くとしたら日本か。。
日本でも大変だとは思うけど。。




私は協力隊での経験、駒ヶ根/パラグアイを通して多くの人々に会い、消化しきれないくらいの刺激をもらった。
そして幸せなことに、帰国後も刺激をもらい続けている。
本当にありがたい。

老若男女関係のない、かけがえのない仲間たち。
常に夢を持ち、前に前に進んでいく。

全てが貴重な出会い、時間、そして経験。。


そして今、自分の好奇心は更に大きく広がっている。
国際協力、開発、国際経済、貿易、社会、歴史、民族、文化、栄養学、有機農業、薬草、MPH、、
挙げると切りがない。。
本屋にいくとどこにいっても足が止まってしまう。。

実際、好奇心が多すぎてやりたいことが明確に見えなくなっているのが現状。
いろんなことを学びたいけど、身体は一つ、頭も一つ。


まずは、国際協力、開発、保健分野で、理論的なことを勉強したい。

パラグアイで感じた無力感、未熟さ、知識のなさ、
方法が見えてこないことも多々あり、悔しい思いを幾度となく経験した。
帰国後はもっと多くのことを勉強したいと強く思った。
もっともっと、途上国の底辺の人々の役に立てる知識があったら。。

そして、JICAと言えども、ボランティアでは弱すぎること、
特に保健分野では(他の分野でも一緒か)、もっと上層の変革が重要だともひしひしと感じた。


私は学歴がない。
でも、これからも途上国での活動を行っていきたい。

そこを目指すのであれば、やはり今、この帰国のタイミングで大学院を目指すのもいいかもしれない。

もっと情報収集しよう。
そして、英語、頑張るか。。

July 8, 2010

徳島

高知→広島
でも、ぶらり途中下車 in 大歩危
名前も面白いけど、
高知へ行く時に、電車から渓谷の絶景が見え、帰りに絶対寄ろうと企んでいた。


よく知らないで下車したが、ここは妖怪の里らしい。

早速、妖怪センターで木製の児啼爺


そして、念願だった(一昨日から)大歩危峡、川下り
お客さんは私たちだけ。
貸し切り状態

それでも、懇切丁寧に解説してくれるガイドさん。ありがとう!
もちろん、ここでもテレレ

船出発!
白岸壁が迫力ある。そして,水もきれい。
更に上流へ
更に更に、上流へ
川面に映る景色も素敵

そして、次は妖怪探しの旅へ

野鹿の池の龍神と化身の乙女
遠く、川の岩の上にいる川赤子
山爺。きのこまみれ。。
どろめき渕のエンコ?エンコって何だろう。。
蜘蛛取り渕の一つ目入道
よく知らない妖怪ばかり。。

そして、山道を歩くこと約1時間?
最終目標地点、児啼爺!!!
児啼爺しか知らないよ〜
そして、近くにあった小滝で、滝テレレ!!
冷たくて美味しかった♪
自然が一番。



その後、広島を目指して。。?

電車にて、、、
テルモ君が遊びにくる。
疲れ気味のテルモ君

July 6, 2010

高知

勢いで、高知のパラグアイ隊員訪問!
もちろんテレレ持参で♪ 


友人は得意の折り紙交流

高知と言えば、坂本龍馬

顔のしわまでよく作られている。


友人を待っている間、龍馬さん見ながらテレレ、波を見ながらテレレ、歩きながらテレレ、、
テレレがあれば、時間が過ぎるのはなんとも早い。。


友人と合流し、久礼大正町市場へ
まずはカツオのたたき!
うるめの刺身、絶品!
近くの讃岐うどん屋
こしがあって美味しい!!
高知は食べ物がおいしい♪


そして、社会科見学①
元隊員の働いている水産高校訪問
彼が作った、魚の標本
面白い。
食品加工学科の冷凍庫にて
社会科見学②
寒天工場
できたて寒天、これもシンプルで美味しい♪
そして、食べた後はのんびり海水温泉
すごい絶景!!

でも、船から裸が見えちゃうらしい。。

July 1, 2010

長崎にて

久々の長崎原爆資料館へ

パラグアイで原爆展を行った際に、現地の子供たちが作成した折り鶴や絵画を寄贈する。


飾られている資料館の折り鶴は、どれも出来がいい。
それに比べて。。。

来週は広島で。

June 29, 2010

長い試合。。

ひゃ〜、長かった。。
心臓ばくばくだった。。
途中、ハポ〜ン!!とか言ってて、どっち応援してるんだかわからなくなってた。。
パラグアイ勝ったけど、複雑。。

日本すごいな〜
こんなに強かったんだな〜
すごい団結力だった。

それにしても、審判、日本に厳しかったなぁ。。

日本×パラグアイ戦に向けて



次は、思いも寄らなかった日本×パラグアイ戦!
長崎ではパラグアイ情報が少ないのか、地元テレビ局の取材が入ることになった。

家族と家の大掃除をして、サイドボードにはもともとパラグアイグッズ飾っていたのだけど、更に増やして飾ってみる。
友人らから写真・情報をかき集め、テレレ、マテ準備し、アオポイ着て、パラグアイを大紹介。

テレビの放送では、テレレ、カーニバル部分はカットされてたけど、サッカー、日系社会など色々紹介してくれてた。
こんなことがないと、パラグアイって紹介されないだろうからね。
最近のテレビでは、どの番組見ても地図・映像を用いてたくさん紹介してくれてるのが嬉しい限り。
一気に認知度あがったな〜。
ありがたやありがたや。。


友人によると、パラグアイでも同じように日本人が取材されているらしい。
「日本でも、マテやテレレは飲んでるのか? マンディオカは食べてるのか?」って。。

今日の試合はテレレを飲みながら応援しよう♪

June 20, 2010

ワールドカップ2010


パラグアイ、スロバキア戦勝利!


今頃、盛り上がってるんだろうなぁ。。
大統領命令で仕事も休みになってるとかいう話もあるくらいだしね。


きっと、今もこんな感じ?(写真、2008年)


興奮して、パラグアイの友人やおばぁに電話してみたけど、つながらず。。
出かけて応援してんのかな。
次もがんばれ〜!!

June 9, 2010

日本人移民

南米在住の多くの日系人の方々。
2世、3世から並々ならぬ苦労話を聞くことも多かった。

この本は、日本海外協会連合会(1950年代のjicaの前団体)の一人の元職員が書いたもの。
「国土狭小、人口過剰」に対する海外移住政策。
その裏で、様々な汚職が蔓延る様に、読んでいて怒りさえ覚える。
著者が膿を出そうとすると、厄介払いされ南米に派遣されたり。
最終的には、著者は解雇されてしまうが。。


中でも、
ドミニカ共和国、ブラジルのアマゾン、ボリビアのサンファンに移住した人たちの生活はひどかった。

戦争の恐怖から逃れるため、
南米の肥沃な大地に夢を馳せ、
全財産を持って旅立った多くの人々。

しかし、現地へ到着してみると、
日本政府が出した募集要項との大きな相違、
詐欺的な受け入れ、
全く開墾すらできない荒れ地への移住、
貧困、
現地での奴隷扱い、
自由の制限、
教育の未整備、
治療もできずに亡くなっていく家族、
日本へ帰りたくても帰れない人々、、


悲惨な状況が数十年に渡って続いていたことを改めて知った。

それでも、必死に頑張った日系人の方々。
彼らがいたお陰での、今の南米の発展があるといっても過言ではないだろう。





以前訪問した、パラグアイ、イグアス地域の移住博物館。

日本政府が発行していたポスター
『行け、ブラジルへ』
そして、移住の歴史



海外移住政策での移民は1952年から、終了の1972年までで63000人。
多くの日系人の苦労を忘れないよう、ここに書き留めておこう。

May 30, 2010

読書は楽しい♪

近頃は、写真の整理、Blog更新、そして、のんびり読書生活。
将来について悩むことも多々だけど、まぁ悩んでも仕方ない。
今はのんびりやってみようということで、近所の図書館でレンタル。
日本は本が豊富で楽しい♪


『不倫と南米』
昔から、吉本ばななさんの本は好きで読んでいただけに、南米の文字に気になって借りてみる。
アルゼンチンのブエノスアイレスに入り、そこから北上、ポサーダス、エンカルナシオン、トリニダー/サンコスメイダミアン遺跡、そしてイグアスの滝。

懐かしい名前にちょっと嬉しくなる。
しかも近所のNovotel hotelに泊まってたり、滝では同じところに泊まっていたり。。
短期の旅行で、こんな小説ができちゃうんだなぁ。
それにしても、不倫と南米。。南米に行って、そんな印象を持たれるのか、、とある意味考えてしまった。



『チェ ゲバラ』
関連の映画は見ていたけど、その後の人生とかよく知らなかったので勉強がてら。

彼の人生観には圧巻。
自由のため、自己の固い信念に従い、各地で武力闘争。
中南米はもちろん、アフリカ、アジアをも歴訪し、各地の大会議で饒舌演説。
そして、命をも賭ける冒険家。
武力闘争の是非に関しては考えてしまうけど、一貫した積極的な行動には魅了された。
南米にこんな偉人がいたんだなぁ。。しかも、めっちゃかっこいい。。


May 19, 2010

DELE対策の東京生活

スペイン語の試験(DELE)のため、追い込み生活。。
ベネスエラ人先生と毎日デニーズで2時間みっちりスペイン語授業。。

毎日、問題集と作文。。
でも、懇切丁寧につき合ってくれた。



そして、たまたま浅草の三社祭で旦那と娘が出るということで、一緒についていく。
超かわいい!!!

焼き鳥大好きな息子。
彼の中では、焼き鳥はなめるものになっている。。

May 6, 2010

名古屋、大阪



名古屋の友人と再会
巨大りかちゃん?とあんかけパスタ。



大阪にても友人らと再会

自由軒のカレーピラフ。有名らしい。
湯婆婆在中。

純喫茶『アラビヤ』

谷町のそばきり『文目堂』あやめどう
古民家を改築していてお洒落

そして、苔で輝く水掛地蔵



昭和町の長屋を改築した、3軒の料理屋
AKA(中華)、旨魯SHIRO(和食)、キッチンバー混(イタリアン)

今回は中華へ どの創作料理も美味しい!!!

友人にマテ茶を紹介すると、ボンビージャで中国茶を飲み始める。
応用がきくね、ボンビージャ。
いつでも愉快だわ、大阪人




そして、大阪の友人宅に宿泊。
他の友人も集まり、ジンギスカンパーティー